熊本地震から2週間後に現地でボランティア活動をした当時の体験記

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2016年4月14日、熊本県の益城町で震度7を記録した熊本地震。

筆者にとって今でも記憶に深く残っているのは、当時、地震発生からわずか2週間後のゴールデンウィークに単身熊本へ赴いてボランティア活動をしたこと。

益城町の壊滅的な民家や建物も目にしましたし、熊本市や宇城市でのボランティアを通じて現地の方とも交流を持つことができた貴重な経験だったと今でも感じています。

当時、強く思っていた疑問は「マスコミが報道する被災地の情報は本当に正しいのか」ということ。

ボランティアの是非を語るには現地を見るべき、という思いで来訪したことでニュースでは把握できない現地の空気というものを実感できたことは今でも自分の糧になっています。

今回は東寺の経験を時系列で紹介するとともに、ニュースではなかなか語られない情報も交えて語っていきます。

今回、出発前に居住地の東京都内では「余震は大丈夫なの?」「二次災害に会って現地の方の迷惑になるのでは?」「ボランティアにはまだ早すぎる時期ではないか?」という声を結構聞いていました。
しかしながら、聞いていた内容とは異なる部分が多かったのが現地の実情で、この時期にボランティアに行って正解だったと実感。詳しく解説していきます。

地震から来訪までのカレンダー

今回の熊本地震は、
 ・4/14(木)21:26 前震 益城町で震度7
 ・4/16(土)1:25 本震 西原村と益城町で震度7

今年は最大10連休のゴールデンウィークでありながら
 ・2週間程度しか準備期間が無い
 ・九州地方のため遠くて交通費がかかる
ためにボランティア参加を断念した方も多かったと察します。

東京都民の筆者は、この2週間で何とか各種準備を行って5/3~5/8の6連休で熊本へ来訪しました。

事前準備から出発まで

地震直後の現地は刻一刻と状況が変わるので計画が立てにくいものですが、迷っている暇はないと即決。

4/23(土)段階で運行していた交通手段「福岡空港」「博多-熊本間の鈍行列車」で熊本入りを計画しました。

ANAの旅割で飛行機往復を予約。熊本県内では地震後に「インターネットでの予約を不可にして電話のみ応対」という宿が多く、宿予約は電話で実施。

初日5/3(火)は飛行機と列車の移動のみ。ギリギリ熊本県となる荒尾駅に夜到着で宿泊。

荒尾駅は震災直後でもコンビニや飲食店が通常営業で、本震の影響や余震の心配もあまり無いということで宿に選定。

宿の方もボランティア活動での来訪と把握していたようで、マスクと水をサービスしてくれました。優しい。

5/4(水) 熊本市で個人宅の片付け作業

7:20~9:15 ボランティア参加者行列に並んで待ち

ボランティア活動1日目は、県外者でも受け入れている熊本市のボランティアセンターへ。

受付会場は新市街アーケードが目の前にある、花畑(はなばた)広場。熊本駅から市電(路面電車)で5駅15分、辛島町駅で下車。

受付は9:00からですが、私が来訪した7:20時点で大体200名くらいの行列。

8:00くらいになると写真のとおり、広場が人で埋まるほど。おとなしく並んでいる方が殆ど。

晴れていて気温も高めの日で、社協の方から「熱中症にご注意ください」というアナウンスが。

そして、学生っぽさのあるボランティア係員の方たちが無料で水を配布して回ってくれていました。

市町村(社会福祉協議会)が運営するボランティアは午前中の募集が殆どのため、早朝行動が基本。ちなみに、前日5/3(火)は雨のため700名ほどの来訪に対して屋内作業のみで先頭約200名で打ち切り。この日はどうやら1,000人くらいのボランティアが来訪したそうです。

9:15~10:00 ボランティア受付

8:40頃に行列が動き出し、進みながら途中でボランティア受付票を記入。

そして地下道への階段を下った先には受付コーナーが。受付票を提出して、氏名を書いたテープを腕に貼ってもらってボランティア登録完了。

途中で配られたボランティア心得のパンフレットには「ボランティア誘導係を担当してくれているのは地震で休校中となった学生さんたち。GWを終えると学校再開となり、学校へと通う生活に戻ります」といった記載が。

再び地上へ戻って、仮設テントでオリエンテーション。

活動内容に加えて「現地での写真撮影禁止、被災者への気遣い、作業の受け方や注意点」などの説明を受けました。

そして係員が1人ずつテントに来て「力仕事が必要な△△△の活動で○人必要です」と活動募集の案内が順々に始まり、手を挙げると参加できる仕組みでした。

今回感心したのは、ボランティア参加者を学生たちがしっかり誘導している点。事前の導線がしっかり練られていてミスなく漏れなく、多いときで1,000人を超えるボランティア参加者をしっかりまとめあげる光景は美しいもの。

10:00~13:00 市電移動とボランティア作業

3人グループで市電に乗り、ボランティア先の個人宅に来訪。2階建ての2世帯住宅ながら両親が亡くなって1人暮らししている方のお宅で、

 ・余震が続くため屋根のあるベランダで寝る生活
 ・食器棚が地震で動いたため冷蔵庫が開けられない
 ・タンスなど倒れたまま動かしていない

ということで、地震で倒れた家具等の運搬など力仕事を2時間ほど実施。

余震対策として家具の足にストッパーを付けるのが意外と難作業で、1階と2階の家具移動もかなりの重労働でした。

倒れたタンスを起こして元通り配置してみると「壊れて引き出しが閉まらない」ことがわかり、依頼主から「仕方ないですが震災ゴミとして出します」とのことで家の外へ運ぶという出来事も。

作業を終えて、花畑広場ボランティアセンターへ帰還。

ここでも学生っぽい係員1名が応対で参加し、作業報告として「実際に作業してみて気づいたこと、反省点」をグループで話し合いました。先述の内容も交えて意見や感想を続々と。

係員さんからは「ほうきとちりとりが無いと作業が止まるという話が多く出ている」とのことで、今回は作業先で用意されていてスムースに進んだという話題も挙がりました。

この振り返りで気づきなどがあれば翌日以降に活かしていくのだそうで、学生主導でボランティア運営を改善していくステップが用意されているというのはスゴイ!

13:00~19:30 市街地の視察と散策

ボランティアを終えて、空いた時間で市街地を散策。

 ・新市街アーケードは普段どおりの賑わい
 ・飲食店は大半が通常どおり営業
 ・熊本城は立ち入り禁止だが城彩苑は営業
 ・水前寺公園も庭は立ち入りOK

夜はアーケード近くのビジネスホテルで宿泊。お湯が出るようになったそうで、空調は依然壊れたままですが季節的に問題なし。

夜は余震で眠れないと言われていたものの、1回だけ震度3程度で目を覚ましたくらい。ぐっすり寝れました。

ボランティアの効果で満室となるビジネスホテルも多く、居酒屋もお客さんで一杯。ニュースでは益城町など被害の多い場所ばかり報道されていましたが、アーケード街は賑わっていて「消費を滞らせないことが大事」であることもしっかり報道して欲しいものです。


5/5(木) 熊本駅前でボランティア情報案内

6:30~17:30 ボランティア情報案内

ボランティア活動2日目は、熊本駅前でボランティア活動の情報案内。(インターネット経由で応募して参加)

もともと東日本大震災のときに宮城で活動していた「NPO法人ボランティアインフォ」という団体による、ボランティア活動希望者向けの情報提供を行うというものです。

朝6:30集合で早々に設営作業を行い、案内開始。朝の活動メンバーは5名ほど。

やはりボランティア参加者は朝に集中して往来があるもので、情報案内する側としても午前が勝負の活動です。

熊本駅を通る人は熊本市ボランティア参加者が多くて、基本的には「市電で辛島町を下りて花畑広場へ」と案内。

併せて、御船町や宇城市の社協から応援要請が来ているボランティア員の募集を呼びかけるという仕事もありました。

社会福祉協議会だけでなくNPOもボランティアを募集しているもので、こういった裏方としてのボランティア参加という形もあるんですね。ちなみに、Yahoo!トップからボランティア特設情報を経て今回の活動を知りました。


土地勘の無い私が熊本の道案内や情報提供をするのですから、当然うまくいかない場面も多々あり。

熊本市や玉名市など在住で地元に詳しいメンバーが主軸で動いてくれて、無知な私が迷惑をかけつつある状況。

県外者で浮いているようで気が引けていたのですが、午後になると少しずつ打ち解けて色々な話ができました。

事前に勉強した熊本の知識を活用しつつ、疎くてもできる仕事も実施。

純粋な案内だけでなく、阿蘇方面へボランティアに行きたいという方がいて「レンタカー屋へ空き状況を確認する」なんてことも行いました。

その方からは活動後にお礼を言ってもらえて、微力ながら力になれていることを実感。

駅前を通る人は様々。NPO法人へのネガティブな反応をする人やボランティア活動に対する文句を言う方も少数ながらいましたし、外国人の方との会話で言葉がうまく伝わらない場面も。難しい立ち位置ですが、色々な経験のできた1日でした。

17:30~22:30 電車移動と飲食店での食事

ずっと立ち作業で足が痛みだす状態。17:30頃に解散し、電車が同じ方向のメンバーと色々と会話をしました。

この日も荒尾駅で宿泊。荒尾駅近くのカフェでコーヒーフロートを堪能し、夜は居酒屋でお酒を交えつつ熊本の食材を堪能。

意外にも、カフェと居酒屋の両方で店員さんからお礼を言っていただけました。年齢や職業柄でなかなか現地で力仕事ができない人が多い中で、若い人が現地へ来訪してくれるのは正直に嬉しいのだとか。


5/6(金) 宇城市で震災ゴミの清掃

7:30~9:30 移動とボランティア受付

熊本北部は雨、熊本南部は曇りとなったボランティア3日目。

各市町村がFacebookやTwitterで投稿しているボランティア有無を確認していくのですが、天候が悪いためボランティア募集中止とする自治体もちらほら。

そんな中、宇城市がFacebookで「40名程度受け入れる」と案内が出ていたので、熊本駅より南に位置する宇城市へ行くことにしました。

ボランティアは現地までの足を自分で確保するのが原則で、地方都市は車社会ゆえ公共交通機関での来訪は大変。

JR松橋駅で降りて、徒歩、バス、徒歩という流れでボランティアセンターへ。

熊本市と同様、宇城市でもボランティアの受付、名札テープの貼付、注意事項説明、オリエンテーションという流れ。

ちなみに、私が到着した9:10頃の直後で受付締め切り。ボランティア先もすでに1件しか残っていないので選択の余地は無い状態でした。

天気が悪いときはボランティア募集人員が極端に減るもので、前日は200名募集で満員にならなかった宇城市も40名程度と大幅縮小。意外にも「屋内作業と思われる個人宅の片づけ」だとしても、ゴミ出し等で外へ出るケースを想定して受付対象外にする自治体もあるのです。

9:30~15:30 ゴミ処理関連のボランティア作業

プライバシーの問題もあるため活動先は秘密ですが、震災で発生したゴミの対応です。(写真は熊本市)

地震で壊れた家具、ガラス片、瓦礫、生活ゴミなど、地震発生後は各家庭でゴミが大量に出てきて、路上にゴミが出されたまま積み重って回収されず放置されます。

今回は、これらのゴミを分別してまとめて車で運搬してゴミ処理センターで処理してもらうという流れに参加。

一般的にゴミというのはゴミ袋や粗大ごみ回収票など有料となりますが、震災で発生したゴミは「震災ゴミ」扱いとなり特別措置として無料で出すことができます。

しかしながら、実際にゴミを見てみると「無料だから便乗して出したゴミ」と思われるものも沢山。特に洋服や本など震災と関係なさそうなゴミが大量に捨てられていました。

わナンバー(レンタカー)の車も周囲にいて、住民が協力してゴミ分別を行う状況も。

ゴミ処理のリサイクルセンターの方と少し話すことができたのですが、震災ゴミ対応は震災直後1週間くらいがピークだったとのこと。震災直後にボランティアニーズが生まれる分野も現実に存在し、報道と現地のギャップが実際にあるのだと感じました。

15:30~17:30 宇城市でカフェ休憩と視察

この日はガッツリ作業かつ立ち仕事で、かなり疲れつつも充実感がありました。

活動終了後はカフェで一息。すると、わずか2秒程度「ガタガタン!」と揺れる独特な余震が。周囲のお客さんが「すぐそこの山が活断層なんだよ」と教えてくれました。

松橋駅付近を歩きながら建物を幾つか見ていき、ニュースでも記載のあった紙が各住居に貼られているのを確認していきました。

この紙はいわゆる保険等で用いられる全壊、半壊とは異なるもの。基本は自建築物の危険性を分類した紙となりますが、稀なケースとして「周囲の建物が崩壊して巻き込まれる可能性あり」で危険と認定されることもあります。

松橋では見かけませんでしたが、他エリアでは実際に「赤紙が貼られていて立ち入り危険となっている建物で商売を続けている」お店も見かけました。続行せざるを得ないお店もあれば、先を悟った年配の方が細々と商売している例もあるのです。

17:30~20:00 川尻で瑞鷹酒造を視察

今回の地震で日本酒や焼酎の酒造も打撃を受けており、特に本震で製品が大量に割れてタンクや設備の損傷を受けた酒造が多いようだとFacebookから感じ取れました。

熊本市南区の川尻にある、日本酒、焼酎などを扱う大手の瑞鷹酒造もそのひとつ。私も飲んだことがあり思い入れもあったので、今回来訪しました。

試飲、販売が行われる瑞鷹の東肥蔵。このような状況でも試飲対応してくれて、色々と話ができました。

熊本の文化としてお屠蘇(おとそ)としても用いられる「東肥赤酒」も瑞鷹酒造の名産品。

ニュースでも「タンクの損傷が大きく、途絶えてしまう可能性がある」と出ていましたが、従業員さんの話では「社長の意向で何としてでも続行する方針で、目途が立ちそう」とのこと。

今回来訪した瑞鷹酒造だけでなく、日本酒で知名度のある「花の香」の酒造や「美少年」の酒造なども酒造りを続行していく意向だとか。伝統文化を絶やさない、これもまた震災後の課題です。


5日目 5/7(土) 益城町の避難所の片づけ

11:45~15:00 健軍町から益城町へ向かいながら視察

熊本駅前のボランティア情報案内へと出向き、2日前に仲良くなったメンバーと会話しつつ「益城町でボランティア募集している」とのことで参加することにしたボランティア4日目。

市電A系統の終点「健軍町」で下車。健軍のアーケードに立ち寄ったところ、途中で天井とスーパーが崩壊しているなど悲惨な状況でした。

益城町の活動先までの約5kmをひたすら歩きながら、現地の状況を確認。

益城町の手前までは飲食店も営業しているものの、街路樹の枝が切られていたり地面に軽いヒビが入っている状態。

ちなみに今回、5/5(木)に「ボランティアが余っている」という情報が出たことが起因し、連休の後半となる5/6(金)~5/8(日)はボランティア人員が不足する事態に。


熊本県の中でも特に被害が甚大な益城町。町の境目に入るあたりから道路のヒビ割れ、家屋の崩壊、道路渋滞が目立つようになってきました。

写真のように崩れた家が道路沿いに。しかも、よく見てみると2階建ての1階が丸々つぶれています。

周囲の電柱も曲がっており、道路渋滞に対して人の往来は殆ど見かけませんでした。

古くて風格のある家が崩れている光景は、痛ましいもの。さらに歩いて高速道路の下をくぐり、その先にある某学校へと向かいました。

今回、ゴールデンウィーク明けの時期は
 ・避難所を集約、統合する
 ・学校再開のため学校避難所を開放する
ことから避難所の片づけで人手が足りない状況。

15:00~18:30 益城町で避難所の片づけ作業

※写真は今回来訪した学校ではありません。

今回来訪した学校(避難所)では、教室のある校舎を学校側に返却し、体育館のみを引き続き避難所として続行する形。

まずは、退避していた生徒の机と椅子を教室へ戻す運搬作業。机を運ぶのは久しぶりで、机2個をいっぺんに運んで運動不足を実感。

※写真はイメージです。学校内撮影禁止と配慮のため。

避難所として必要な各種道具の運搬、開放する教室や廊下の掃除、縮小後の体育館避難所の設営など作業は多岐に渡りました。

そして、夕方には避難所の被災者に夕食(お弁当、パン、箸、水)を渡すことも手伝いました。

ちなみに、避難所の片づけ作業をメインで行っていたのは学校の教師、PTA、生徒と思われる人たち。本当に沢山の地元の方が対応に携わっています。

18:30~23:50 移動、夕食、そして博多経由で東京へ

ボランティア終了後、一緒に作業したメンバーとタクシーで移動。(タクシーも普通に手配できる状況)

熊本の繁華街。やはり熊本産の食材を食べて地元に還元したい、ということで緑提灯のお店へ。ワインを軽く添えて、マグロ丼や馬すじ煮込みを堪能。

一緒に作業したメンバーは東北出身、沖縄在住だそうで、九州を移動しつつボランティア活動で熊本に来訪したのだとか。

ボランティアを行う人は真面目な方が多いイメージですが、今回の方は意外にもフランクで明るい方。確かスポーツもされていて力仕事も手慣れていた感じでした。

4日間ガッツリ取り組んだボランティア。駅前でお土産を購入し、鈍行で博多駅まで向かったら博多のビジネスホテルに0時頃到着。

翌朝には飛行機で東京へ、無事戻ることができました。

活動して気づいたこと

熊本に来訪してみて、ボランティアと一口に言っても色々な作業があるというのを実体験として得られたのは大きかったと思います。

「被災地でボランティアは迷惑をかけるだけで役に立つのは自衛隊だけ」みたいに言う方もいますが、実際は自衛隊もボランティアも必要とされているのが現場の実情。もちろん自衛隊だからこそ活躍できる重作業もありますし、一方でボランティアだからこそ活躍できる軽作業だって沢山あります。

私のような他県出身のボランティアがいなくても現状は何とか回りますし、私が行った作業も誰かが代わりにやってくれる些細なもの。だけど、僕らが力添えをすることで「被災しつつも復旧復興に力を注ぐ地元の方たち」の負担が少しでも減ったのであれば良かったなと思います。

活動をしてお礼の言葉をいただいたのは被害の大きい土地での被災者だけでなく、色々な方からお礼を言っていただけて色々と話できたのが大きかったです。喫茶店の店主、お客さん、居酒屋の店主、従業員さん、宿泊ホテルの受付の方、ボランティア作業の方、NPO法人で熊本在住の方だけでなく東北宮城の方も。

そして、冒頭で疑問として掲げた「マスコミが報道する被災地の情報は本当に正しいのか」についての答えは「マスコミの報道で有益なのは映像と写真だけ」。現場の声をまともに聞いてすらいない素人記者の駄文などまったくもって役に立たないどころか「被害を誇大表現して不安を煽っているだけ」と感じました。

今回のボランティア活動で有益だったのは、現地の方からの情報、NPO法人が提供する情報、そして各市町村(社会福祉協議会)がFacebookやTwitterで発信する情報。

不備もあれど、現地の方たちがしっかり対応してボランティアの受け入れが成り立っているからこそ、ボランティア作業員がしっかり参加できるのだと如実に感じます。

他にも気づいたことは沢山。現地を目で見て体を動かしたから感じられたことが一杯あり、今回来訪して本当に良かったと思います。

当ブログはくまモン版権利用を通じて熊本県には色々とお世話になっており、思い入れのある土地。これからも熊本城、地域の皆様の復興を願って応援していきます。

記事を書いた人&運営者
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セシモ コイ(瀬下 恋衣)
趣味の国内旅行ライター

国内旅行が大好き。NIKON一眼レフで主に花や絶景を撮影し、写真を活かして当旅行サイトを運営。
旅行系Vチューバーとしても活動予定で、国内情報を解説するため勉強中。